News

ysdaki.exblog.jp
ブログトップ
2012年 04月 05日

第3回〜退蔵院ふすま絵プロジェクト〜

約3年前からこの季節になると目がかゆくなり出し、やたらとくしゃみが出て、とめどなく鼻水が出続けるという症状に悩まされる様になった。
冬の厳しさを乗り越え、ようやく春の訪れを喜んでいるのも束の間。
春の陽気さを堪能するどころか、この症状に悩まされ春の到来が憎らしくもある。
そんな花粉症のバカヤローの発症から3年目の3月29日。
僕は今日も目をこすり、くしゃみを連発し、滝の様な鼻水を垂らしながら、妙心寺退蔵院を訪れた。
妙心寺退蔵院ふすま絵プロジェクト絵師・村林由貴さん(HPはこちら)http://murabayashiyuki.moo.jp/を撮影するためだ。

朝10時ちょっと過ぎに本堂に現れた村林さん。

「ちょっと遅れました〜」

とハニカミながら飄々と言う彼女の顔は25歳の女性の等身大そのもので、一見どこにでもいそうな普通の女の子である。

「まあ、お茶でも飲んで下さい」

と言って、湯のみにお茶を入れてくれるのはいつものこと。
お茶を飲みながら本堂に流れる静かな朝の時間に身を任せつつ、他愛もない話に花を咲かせる。

「最近、鳥の餌付けを始めたんですよ」

そう言いながらちょっと痛みかけのりんごとみかんを包丁で切る村林さん。
そしてそれを持って初春のあたたかな光が差し込む庭に出て、植木に刺し始めた。

「できるだけちゃんと本物を見ようと思ってるんです。例えば鳥を描くにしても、図鑑とかインターネットとか調べようと思えば今は何でも調べられて分かった気になります。本物を見てリアルに自分に取り入れて、これまで以上に絵に躍動感を吹き込むことが今の自分には必要だと気付いたんです」

そう言いながら楽しそうにりんごとみかんを枝に刺していく村林さん。
実はこのりんごとみかんを植木に刺しているのも、実際に本物の鳥を日常的に見るためのもので、彼女の師匠である椿氏から

「村林は動いてるモンや重たいモンは得意やけど、止まってる鳥や軽いモンは苦手や。動物はホンモノ見なあかん。餌付けして観ぃ」

という助言とご提案で始めたことなのだそうだ。

確かに「本物」に触れることは非常に重要なことだと思う。
本物の持つ力に勝るものはないし、本物ほど五感を刺激してくれるものはない。
そういう「本物」にたくさん触れ、それを自分の中に取り込み、咀嚼していくことで表現としての重みというのはだいぶ違ってくるのではないかと思う。
村林さんの中でそれが絵として表現されたとき、ふすまに描かれたその絵はただの絵ではなく、確かに命を宿した絵として僕達の前に現れるのではないだろうか。
そんなことを思いながら、無邪気にりんごとみかんを枝に刺す村林さんの横顔をカメラに収めるのであった。

a0236568_2153350.jpg


さて、そんなのほほんとしたゆるやかな時間を過ごした後、

「それじゃ、描きますね」

と言って、村林さんはふすまの前に座り込んだ。
その瞬間、さっきまでの穏やかな時間から一転、お堂の中はピーンと張りつめた空気になり、静寂が訪れた。
今日の作業は下書き。
鉛筆を握り、ふすまに線を描き込んでいく村林さん。
「シャッシャッシャッ」という鉛筆の滑る音だけが聞こえ、その音の合間に「カシャッ」という僕のカメラのシャッター音が響く。
カメラのファインダー越しに僕は村林さんの鉛筆の先をじっと見つめる。
鉛筆はふすまという海の上を動いたり、止まったり、迷ったり、勢いよく進んだり、実に様々な動きを繰り返しながら少しずつ線が描き込まれていく。
ふすまに描かれた線は彼女の頭の中に湧き上がるイメージの断片だ。
その断片を更に顕在化させていくために線をまた描き込んでいく。
やがてその線は繋がり、村林さんの魂の一部として絵に立ち現れてくる。
その作業は想像以上に孤独で、地味である。
しかし、きっと自分自身と向き合うということはそういうことなのである。
表現とはそういう作業が必ず必要なのである。
自分自身と向き合う孤独で地味な時間の純度が高ければ高い程、表現としての爆発度はすごいんじゃないかと僕は思っている。
そしてその爆発度こそが人の心を動かすのではないだろうか。

今、僕の眼前で「生きた線」を描き込んでいる村林さんは、その純度を高める作業の真っ最中なのであり、今日もそして明日も飽きることなくこの作業をやっていくのである。
つくづく完成が楽しみである。


a0236568_2242330.jpg


a0236568_2243625.jpg

[PR]

by yoshida-akihito | 2012-04-05 22:04 | 退蔵院ふすま絵プロジェクト


<< 第4回〜退蔵院ふすま絵プロジェクト〜      トークイベントします >>