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カテゴリ:退蔵院ふすま絵プロジェクト( 35 )


2012年 05月 05日

第5回〜退蔵院ふすま絵プロジェクト 〜

ついこの間まで冬の寒さに打ちひしがれながら重いコートにしがみついていたというのに、春の暖気のおかげで身軽になってきたこの頃。
これも「冬」に未練のかけらもなく早々と見切りをつけ、突然「春」と仲良くなった「季節」のうつろいやすさのおかげである。
まるで女心みたいだなあと思いながら、しかしようやく来たこの春の暖かさに、少々頭を鈍くさせられつつある、4月26日の夜。
僕は妙心寺退蔵院ふすま絵プロジェクトの「絵師」である村林由貴さんの撮影のため妙心寺を訪れた。

妙心寺ふすま絵プロジェクトの概要はこちら→ http://painting.taizoin.com/j/

制作現場に入ると村林さんは居らず、その代わりにふすまに描かれた絵が僕を迎え入れてくれた。
前回も紹介したように、現在制作中のふすまには夏野菜のトマトやきゅうりが描かれている。
前回来た時は鉛筆で下書きされた部分も多かったのだが、この日訪れてみるとしっかりと墨が入り、夏野菜が夏野菜らしく堂々たる存在感を放っていた。
茎を這わせ、葉を広げ、ツルをしならせ、夏の太陽に向かって生命力の限りを尽くしながら伸びる夏野菜達は見ていて本当に爽快な気分になる。
こんなものを描けるなんて村林さんはすごいなあとつくづく思うのである。
「む〜」とふすまを前に唸っていると村林さんが奥の居間から現れた。

「わ!びっくりした!」

突然の僕の姿に驚いたのか、胸に手をあてながら

「来てると思いませんでした〜」

と笑いながら制作現場に入ってくる村林さん。

「ごめんごめん、声はかけたんだけど返事がなかったもんで」

と言い訳をする僕。

「そうなんですか〜、全然聞こえてなかった。でもお久しぶりです」

と村林さんは言いながら畳に座り込んだ。
そして二人してふすまを眺めながらそのまま座談会となった。
この日の晩、村林さんは鉛筆も筆も握る事はなかった。
その代わりに彼女の中に渦巻く、制作にまつわる様々な想いや悩みを吐露してくれた。
静かな春の夜に、彼女の声が響きは溶け、響きは溶けていく。
闇の中に彼女の声が溶けていく分だけ、その闇の中に彼女の像が浮かび上がってくる。
そこには僕がこれまで見てきた才能豊かな25歳の絵師、村林由貴の姿よりも、現状に対し悩み葛藤する至って健全で普通の25歳の彼女の姿があった。
人間の成熟は葛藤の中でしか果たせないと言ったのは内田樹さんだが、今まさに葛藤の渦の中にいる彼女は言い換えれば人間的な成長を成し遂げようとしている最中なのではないだろうか。
僕はこの葛藤を彼女がどのように処理し、自分の中に取り込んでいくのか、そして作品にどのように反映されていくのか、悩みの渦中にいる彼女には申し訳ないのだが、そのことが非常に楽しみでもあり、興味があるのである。

村林さんの話を聞きながら、そんなことを考えつつ、ふすまに描かれた夏野菜に目をやってふと思ったことがある。
それはふすまに描かれた夏野菜の見事なまでの生命力と、今夜の彼女が妙にリンクして見えたということである。
それはきっと生命力の限りを尽くして伸びる夏野菜の姿と、葛藤しながらも何とか前に進んでいく村林さんの姿が本質的に一緒だったからではないだろうか。
夏野菜達だって、勝手にどんどん伸びて成長していっているわけではない。
虫に喰われたり、日照りが続いたり、様々な障害に揉まれながら、葉をどのように広げれば最もよく日光が当たるか、どのような花を開けば虫達が花粉を運んでくれるか、どうすればより多くの実を結ぶ事が出来るか必死で考え、成長していっているわけである。
その「生」に対する懸命さと、村林さんのそれとが見事にマッチングしたのである。

これから彼女はどんな新たな姿を見せてくれるのだろうか。
彼女の結ぶ「実」を楽しみにしたいものだ。


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アトリエのテーブル

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話をする村林さん。夜は更けていく

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夏野菜達のほんの一部


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by yoshida-akihito | 2012-05-05 12:45 | 退蔵院ふすま絵プロジェクト
2012年 04月 13日

第4回〜退蔵院ふすま絵プロジェクト〜

今年は春がなかなか顔を出さない。
西高東低の冬型の気圧配置がいつまで経っても主役を務め、これでもかと冷たい空気をふりまき、いつまで経っても寒さがやわらぐことがない。
ようやく春が顔を出したかな?と思うと、なかなかどいてくれない冬と喧嘩をして、大雨はもちろん、雹やみぞれや雪も降らせ、台風かと思う程の強風を巻き起こし、せっかく長い眠りから目覚めかけていた植物や動物の出鼻をくじくのである。
皆が春を待ちわびているのに、当の本人の春はどうやら恥ずかしがって顔を出さず、冬にまだ頑張ってもらっているようだ。
2012年4月6日の夜の京都はまるで2月のような寒さだった。

「今夜も冷えますね〜」

妙心寺退蔵院のふすま絵制作の現場に入ると、絵師の村林さんが寒そうな顔をして僕を出迎えてくれた。

「妙心寺退蔵院ふすま絵プロジェクト」の概要はこちら

絵師の村林由貴さんのHPはこちら


人の3倍寒がりな僕は(南国宮崎出身なので仕方ないが)

「さむいね〜」

と、この寒さに対して憎しみをこめて言いつつ、ふすまに目をやって驚いた。
ふすまが全面取り外され、畳に寝かせられていたのだ。

「お〜、すげ〜」

そのふすまは、先日撮影に訪れた時(前回のブログを参照)には鉛筆の下書きしかなかったのだが、今僕の目の前にあるそのふすまは鉛筆ではなく、墨で描かれているその真っ最中であった。
そこに描かれていたのはきゅうりやトマトなどの夏野菜だった。
地面を這いながらも天に向かって力強く伸びていくツルや、太陽の光を目一杯浴びようとして大きく広げた葉がふすまの中に生きていた。
生命力溢れる植物の命が見事にそこに在った。

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「墨で描いているだけなのに太陽の『光』が本当に当たっているみたい」
そう思わず言ってしまう程、ふすまに描かれているその夏野菜は夏の朝の柔らかな光を受け、朝露を滴らせながらキラキラとまぶしく輝いているかのようで、色を感じるのである。

「今まで水墨なんてやったことなかったんですが、描いていくうちに発見していくんですよ、墨のにじみ具合とか、濃淡の付け方とか。最近です、水墨ならではの表現ができ出して来たのは。もう、やっとこっからやなって感じです。」

そう言う村林さんの言葉通り、彼女の描く絵は明らかに2月の描き初めの頃のものとはどこか違う。
何と言うか、「線」に柔らかさと淡さがより一層出て来たのである。
それに伴って絵全体からは以前の華やかで豪華絢爛な絵とは違って、静かで落ち着いた雰囲気が漂っている。
それを村林さんは「主張しない主張」と言う。
前面にせり出してくるような派手な主張もあれば、静かでそっとさりげないそんな主張もあるというのだ。
そう言う様に、今描いている夏野菜の絵はみずみずしい生命力を静かに放ち、僕の心をそっと撫でる様に刺激してくるのだった。

そんな穏やかな気分でいると、村林さんは早速筆をとって制作開始。
濃淡様々な墨を並べ、ふすまに筆を走らせていく。
静寂の時間が流れる。
手は彼女のイメージを忠実に再現していき、次々と彼女の頭の中がふすまの上に露になっていく。牛歩のように少しずつ少しずつ、しかし確実に。
それが面白くて僕は夢中でシャッターを切る。
しかし村林さんの溢れる情熱と生命はまだまだ写真の中に定着させることができない。
なかなか手強い人である。
そんな僕の想いを尻目に村林さんは黙々と筆を動かし、自分の生命を描いている。

寒い4月の闇を溶かす様に村林さんの情熱は静かにほとばしり、夜を浸食していくのだった。


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by yoshida-akihito | 2012-04-13 00:12 | 退蔵院ふすま絵プロジェクト
2012年 04月 05日

第3回〜退蔵院ふすま絵プロジェクト〜

約3年前からこの季節になると目がかゆくなり出し、やたらとくしゃみが出て、とめどなく鼻水が出続けるという症状に悩まされる様になった。
冬の厳しさを乗り越え、ようやく春の訪れを喜んでいるのも束の間。
春の陽気さを堪能するどころか、この症状に悩まされ春の到来が憎らしくもある。
そんな花粉症のバカヤローの発症から3年目の3月29日。
僕は今日も目をこすり、くしゃみを連発し、滝の様な鼻水を垂らしながら、妙心寺退蔵院を訪れた。
妙心寺退蔵院ふすま絵プロジェクト絵師・村林由貴さん(HPはこちら)http://murabayashiyuki.moo.jp/を撮影するためだ。

朝10時ちょっと過ぎに本堂に現れた村林さん。

「ちょっと遅れました〜」

とハニカミながら飄々と言う彼女の顔は25歳の女性の等身大そのもので、一見どこにでもいそうな普通の女の子である。

「まあ、お茶でも飲んで下さい」

と言って、湯のみにお茶を入れてくれるのはいつものこと。
お茶を飲みながら本堂に流れる静かな朝の時間に身を任せつつ、他愛もない話に花を咲かせる。

「最近、鳥の餌付けを始めたんですよ」

そう言いながらちょっと痛みかけのりんごとみかんを包丁で切る村林さん。
そしてそれを持って初春のあたたかな光が差し込む庭に出て、植木に刺し始めた。

「できるだけちゃんと本物を見ようと思ってるんです。例えば鳥を描くにしても、図鑑とかインターネットとか調べようと思えば今は何でも調べられて分かった気になります。本物を見てリアルに自分に取り入れて、これまで以上に絵に躍動感を吹き込むことが今の自分には必要だと気付いたんです」

そう言いながら楽しそうにりんごとみかんを枝に刺していく村林さん。
実はこのりんごとみかんを植木に刺しているのも、実際に本物の鳥を日常的に見るためのもので、彼女の師匠である椿氏から

「村林は動いてるモンや重たいモンは得意やけど、止まってる鳥や軽いモンは苦手や。動物はホンモノ見なあかん。餌付けして観ぃ」

という助言とご提案で始めたことなのだそうだ。

確かに「本物」に触れることは非常に重要なことだと思う。
本物の持つ力に勝るものはないし、本物ほど五感を刺激してくれるものはない。
そういう「本物」にたくさん触れ、それを自分の中に取り込み、咀嚼していくことで表現としての重みというのはだいぶ違ってくるのではないかと思う。
村林さんの中でそれが絵として表現されたとき、ふすまに描かれたその絵はただの絵ではなく、確かに命を宿した絵として僕達の前に現れるのではないだろうか。
そんなことを思いながら、無邪気にりんごとみかんを枝に刺す村林さんの横顔をカメラに収めるのであった。

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さて、そんなのほほんとしたゆるやかな時間を過ごした後、

「それじゃ、描きますね」

と言って、村林さんはふすまの前に座り込んだ。
その瞬間、さっきまでの穏やかな時間から一転、お堂の中はピーンと張りつめた空気になり、静寂が訪れた。
今日の作業は下書き。
鉛筆を握り、ふすまに線を描き込んでいく村林さん。
「シャッシャッシャッ」という鉛筆の滑る音だけが聞こえ、その音の合間に「カシャッ」という僕のカメラのシャッター音が響く。
カメラのファインダー越しに僕は村林さんの鉛筆の先をじっと見つめる。
鉛筆はふすまという海の上を動いたり、止まったり、迷ったり、勢いよく進んだり、実に様々な動きを繰り返しながら少しずつ線が描き込まれていく。
ふすまに描かれた線は彼女の頭の中に湧き上がるイメージの断片だ。
その断片を更に顕在化させていくために線をまた描き込んでいく。
やがてその線は繋がり、村林さんの魂の一部として絵に立ち現れてくる。
その作業は想像以上に孤独で、地味である。
しかし、きっと自分自身と向き合うということはそういうことなのである。
表現とはそういう作業が必ず必要なのである。
自分自身と向き合う孤独で地味な時間の純度が高ければ高い程、表現としての爆発度はすごいんじゃないかと僕は思っている。
そしてその爆発度こそが人の心を動かすのではないだろうか。

今、僕の眼前で「生きた線」を描き込んでいる村林さんは、その純度を高める作業の真っ最中なのであり、今日もそして明日も飽きることなくこの作業をやっていくのである。
つくづく完成が楽しみである。


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by yoshida-akihito | 2012-04-05 22:04 | 退蔵院ふすま絵プロジェクト
2012年 03月 26日

第2回〜退蔵院ふすま絵プロジェクト〜

京都もようやく冬の装いを脱ぎ捨て、春の準備に取りかかろうとしている2012年3月24日土曜日。
春の前兆らしく、雨が降ったり止んだり晴れたり曇ったりと気まぐれな天気に翻弄されながら僕は妙心寺退蔵院にお邪魔させて頂いた。
以前お知らせした通り、妙心寺退蔵院にて進行中の「襖絵プロジェクト」の撮影を行うためだ。
襖絵プロジェクトの概要はこちら
第2回目の撮影となる今日は前回から約1ヵ月が経とうとしていた。
前回はまだ制作を初めて間もない頃で、ふすま4面を描いているのみだったのだが、今日訪れてみてびっくり。
前回制作をしていた4面のふすま絵は既に完成し、他のふすまに筆を走らせているところだった。

ところでその完成した4面のふすま絵なのだが、言葉も出ないぐらい圧巻であった。
ふすまの中から絵が飛び出して、前にズンズン突き進んでくるような迫力と、極楽浄土を思わせる優雅さと妖しさとが同居しており、僕はこれを前にして、息を呑むしかなかった。
そこには確かに躍動する「生命」が宿っていた。
絵の中から発せられるそれはむき出しで、生々しくて、温かみがあり、春の様な麗らかさと眠っていた種が芽を出す時の喜びがあった。
その「生命」は言い換えれば、絵師の村林由貴さんそのものであった。
僕はその生まれたばかりの「生命」に出会えたことに感謝しつつ、とんでもない才能を秘めたこの芸術家とこれから向き合っていくことの重大性を今更ながら思い知ったのである。

彼女は絵に命を宿す作業を通しながらきっと自分自身の生命と向き合っているのであろう。
これから彼女の「生命」が絵の中でどのように変化していくのか、しっかりと見届けていきたい。


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絵師の村林由貴さん。笑顔が素敵すぎる


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ふすまに向かって下書きをしている風景


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ふすま絵のモチーフの一つとなっているボタンの花
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by yoshida-akihito | 2012-03-26 18:37 | 退蔵院ふすま絵プロジェクト
2012年 02月 29日

第1回〜退蔵院ふすま絵プロジェクト〜

京都市右京区に臨済宗の大本山である「妙心寺」がある。日本最大の禅寺としてもよく知られているこの妙心寺。
その妙心寺の塔頭の一つに
「退蔵院」がある。
約600年もの歴史を持つ退蔵院が今、ある一つのプロジェクトを立ち上げ、取り組んでいる。
それが「退蔵院方丈襖絵プロジェクト」である。
このプロジェクトをものすごく簡単に説明すると、退蔵院本堂の襖(ふすま)に若手芸術家が水墨画を描くというものである。
その昔、「絵師」達は寺社や武将達に雇われ、そこに住み込みながら襖絵や屏風絵など数々の傑作を残してきたそうである。その作品達が今や貴重な文化財となり、現代の僕達へと受け継がれているわけである。
しかし、このような文化財はどんなに保存状態を良くしようとも、時間の経過と共に劣化していくのは避けられない。これは形あるものの宿命である。
それ故に、文化財の劣化や損傷をなるだけ防ぐために、陽の当たらないところで大切に保管し、普段は複写したものや無地の襖を入れているという寺社も珍しくない。
退蔵院も例外ではなく、約400年前に狩野了慶が描いた襖絵(重要文化財)も普段は取り外され、保管されている。
しかしこのような形式をとってしまうと、後世に受け継いでいける様な文化財は生まれないし、それを創り出す芸術家も現れない。
そう考えた退蔵院の副住職の松山さんは、文化財を生み出すということと、若手芸術家の育成を目的にこの「退蔵院方丈襖絵プロジェクト」を考え出したそうである。
実際に退蔵院に絵師を住まわせ、精神修養を重ねながら襖絵の制作を行ってもらうこのプロジェクト。
その制作期間は3年間である。

絵師は公募によって選ばれたそうだが、栄えあるこの絵師に見事選ばれたのが村林由貴さんだ。(ホームページはこちら
村林さんはまだ若干25歳。しかしその緻密で繊細な画力は見事なもので、独特の世界観を築いている新進気鋭の作家さんである。
彼女は既に退蔵院に住み込み、様々な修練を重ねながら今まさに襖に命を吹き込んでいる最中である。完成は2013年の秋を予定している。

ところで、僕がこの「退蔵院方丈襖絵プロジェクト」に一体どんな関わりがあるのかというと、作家である村林さんの制作から完成までを写真に収めさせて頂くことになったのである。
村林さんという人間が作品の制作を通して一体どのような人間的成長を遂げていくのか、そして村林さんが襖絵に魂を吹き込んでいくその過程を、カメラを通して見続けていこうと思っている。
これからちょこちょことその制作の進展状況なども含めてレポートしていくので、どうぞお楽しみに。
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by yoshida-akihito | 2012-02-29 21:01 | 退蔵院ふすま絵プロジェクト